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2008-03-27 Thu [ 旅・取材・人 ]
RICOHカメラはプロご用達
by gaku

ボクのポケットには、いつもRICOHのコンパクトデジカメがある。
このカメラをメモがわりにして、いつでもどこでも記録できるようにしている。
それは、動物の足跡や食痕だったり、小川の流れや芽吹きであったり、料理や知人のスナップ写真だったり、する。
とにかく、性能のいいカメラがポケットにあればいつでも取り出せるからだ。

ポケットには、「GRDⅡ」か「GX100」のどちらかが入っている。
GRDⅡは、35mm換算すれば28mm相当の固定焦点レンズ。
GX100は、24mm-72mm相当のズームなので、使いかってはよい。
なので、このどちらかがポケットにあれば、いかなる場面でも対応できるからである。
両者は胸ポケットに入らない大きさではないけれど、ベストのポケットがこのカメラにはいちばんよく似合う。

RICOHカメラは、ほかにもGXが3台、GX8が5台あるが、これらは山中のロボットカメラになっている。
RICOHのカメラシリーズはすべてがコンパクトカメラだけれど、小さいながらもマニュアル撮影もできるし接写に関してはレンズ前1cmまでいけるのがよい。
プロとしていろんなカメラを使い込んできているが、このカメラはほんとうにボクの期待に応えてくれるよくできたカメラだ。まさに、プロご用達といっていいだろう。
写真上:GRDⅡの発表会では可愛いいモデルが大活躍。
写真中:GRDⅡは、持つ喜びを感じるカメラだ。
写真下:こんなにもGXシリーズが増えてしまった。前列右GX100、中GRDワイド、左右GRDⅡ。後列右GX、左GX8。
2008-03-23 Sun [ 旅・取材・人 ]
アサヒカメラ4月号
by gaku

「生きもの新世紀」という連載を、アサヒカメラでやっている。
連載といっても、4月号と10月号の年2回ずつ5ページ展開である。
現在発売中の4月号には、ニコンD3による高感度撮影を試みている。
野生動物撮影には、これから新世界を開拓してくれるであろうカメラだから、期待をこめて発売直後から撮り下ろしたものだった。
文章でも、今後の環境問題を含めて現代人が考えなければならないであろう視覚言語による「時代性表現」の示唆的意思もしたつもりだ。

こういった写真は、Webやブログでも発表しないものもあるし、カメラ雑誌というボクの仕事の場を考えて作品の使い分けもしているから、印刷物でなければ見れないものもある。
1枚だけ、「RICHO GRDⅡ」で撮影したものもあるが、これが、印刷されてもD3に見劣りしない画像となっているのには驚いた。
デジタルカメラは、表現者にはほんとうに理想的なカメラとなった。こうしたテクノロジーによって表現者になれるのも、この時代に生きていてよかったと思う。
写真上:アサヒカメラ4月号の表紙
写真下:新宿の夜が、見たまんまに表現できるのもデジタルカメラの成果。
2008-03-21 Fri [ 料理・食 ]
ニンニクが高い
by gaku

中国野菜への不信感からか、近所のマーケットからは中国産ニンニクが消えた。
その代わりに、国産ニンニクが一株300円。
高すぎる。
国産だからといって全面的に安心できるワケではないので、ボクは中国産でもいいと思っている。
なので、今年からニンニクを自分で栽培することにした。
中国産ニンニクの余分があったから、昨年の秋遅くに畑へ撒いておいた。
その芽が、ここ数日のあいだに続々と出てきた。
うれしくなる光景だ。
種は中国産だが、新しいニンニクなのだから「国産」といってもいいのだろう?
まあ、はじめての栽培なので、どれほどの収穫があるのか分からない。
肥料も、どうすればいいのか、手探り状態だ。
これに気をよくして、さらに一畝ニンニクを植えつけた。
ビニールハウスにして植えたけれど、これはたぶん時期的に失敗するだろう。
でも、やってみていろいろと覚えていくのもいい、ものだ。

ネギ系統が好きなので、ボクは畑にたくさんのネギ類をつくっている。
アサツキ、ニラ、エシャレット、ラッキョウ、ギョウジャニンニク…
みんな、マーケットで売れ残っていた「見切り品」を畑に植え直しただけだ。
それらの芽が生きいきとしているのが、春を感じていい。
写真上:生えてきたニンニクの芽。
写真下:一束50円で売れ残っていたエシャレットも、畑では元気。
2008-03-18 Tue [ 旅・取材・人 ]
ウルシとサルと人と公園と
by gaku

中央アルプス山麓高原にある河川公園。
その公園にニホンザルが、ぞろぞろ、ぞろぞろぞろ、ぞろぞろぞろぞろぞろ…っと、およそ10ダース以上がたむろしていた。
このような景色は普段のことなので、気にとめることなく横の道路を車でボクは通りすぎた。
500mほど走り続けたであろうか、しかし、この光景が気になっていた。
ニホンザルはれっきとした野生のサルである。
その大群がサファリパークよろしく、公園内で遊んでいる。
これは、見方によっては異常な風景であって、やはりここは撮影と観察をしたほうがいいと思って引き返した。
公園の駐車場へ車を止めて、車内からサルたちの群れを静かに観察することにした。
駐車場にはボクがひとりだけだし、こういうサルを観察するには車外に出ないほうがよりノーマルな行動を見届けることができる。
これが、ボクの動物観察のセオリーなので、窓を少し開けて双眼鏡で追ってみた。
サルたちは、公園の地上で松の実やら青芽のようなものを安心して食べていた。

そこへ、卒業式を終えたのか、中学生くらいの生徒を乗せた父親の運転する車が2台、ボクの横へ滑りこんできた。
生徒は男女合わせて6人。それに父親が2人。
車からはバラバラと全員が降りたが、目の前にいるサルには気づかないでいた。
そのとき、一人の生徒が『ウルシって、なにぃ?』っと、父親らしき人物に聞いていた。
駐車場の後ろ10mほどのところには、たしかに「うるし注意」の看板がでている。
「ウルシといえば、漆のことで、人によっては皮膚が激しくかぶれる植物じゃあないか。
そんなこと、伊那谷の人間ならみんなが知っていることではないだろう…か?」
ボクはそう思いながらサルを見ていた。
その生徒は、もう一度『ねえー ウルシって、なにぃー?』っと、大きな声で聞くが、だれも答える者はなく無視していた。
父親くらい答えるだろうと、ボクは思っていたが、とうとう答えなかった。
たぶん、父親も含めてこの8人全員が「ウルシ」のことを知らなかったにちがいない。
やがて、そのなかで誰彼となくサルを見つけた。
『サルだぁー』
『っえ、どこにぃー』
『ほんとだ、サルだぁー』
全員にサルの存在が分かった時点で、携帯電話をカメラモードにしてサルに向かって走りはじめたのである。
サルは、散りじりになって逃げだすも、なおもそれを追う8人。
やがて、群れの本体が山中へ逃げていったのを確認すると、数頭の若いサルたちが木に登ってその少年たちに向かってキバを剝いて威嚇をしはじめた。
その形相はすざまじく、樹上からいまにも飛びかからんばかりだった。
サルの表情は明らかに怒っているのに、生徒や父親に、その「怒り」の表情が読めていないのだった。
それなのに、皆が携帯電話で10mくらいの位置にいるサルを撮影している。
マズイなと思ったけれど、ボクは車からそれを観察するだけにとどめていた。
8人もいるのだから、一人くらいはサルの表情を察知するべきだろうし、誰かが引っ掻かれなければ野生動物の本性にも気づかないだろう、と思ったからだ。
やがて、撮影に飽きたのか、このグループは車に戻ってきて、駐車場を後にしていった。

これを見て、野生動物との付きあい方はどのように教えればよいのだろうかとも思ったが、これは「教えられない」と感じた。
また、この公園は一級河川整備のついでに山林だったところに「公園」をつくったものだった。
サルにとってはあたりまえに、自分たちの生活エリアだと思って行動をしている場所である。
人間だって、駐車場もできて道路も整備してあるのだから「公園」として訪れる。
お互いに、「当たり前」で同じ場所を「利用」しているにすぎない。
周辺には、ウルシだってあるし、夏にはマムシやクマだっているところである。
自然と付き合うには、やはりそれなりのリスクを人間も負わなければならないだろう。
もちろん、サルだってそのリスクは負わなければならない。
写真上:樹上で威嚇するサルたち。
写真中:公園をサファリパークのように歩く野生のサルたち。
写真下:「うるし注意」看板の意味をどれだけの人たちが知っていて、公園を訪れていることだろうか。
2008-03-16 Sun [ 旅・取材・人 ]
定点撮影にみる環境異変
by gaku

長野県伊那谷のとある公園に、とても絵になる1本のヤマザクラの木がある。
このヤマザクラの姿が大好きで、ボクはもう10年以上もずっと写真撮影を続けている。
この写真を撮るには、いつも決まった位置から、決まったレンズで撮りつづける「定点撮影法」を実践しているのだ。
だから、いろんな天候や時間帯のときに出かけていけば、迷うことなく撮れることになっている。

そんなある夜、星空を入れて撮ろうと出かけたら失敗してしまった。
いや、失敗というより撮影する気力が萎えてしまったから、もうこの撮影を諦めようとも考えているのだ。
それというのも、市民公園でもあることから、ここに夜間になると駐車場を照らす「照明灯」が付いたからである。
このわずかな明かりのせいで、これまでの撮影との連綿性が付かなくなってしまったからだ。
はっきりいって、気に入らなくなってしまったのである。
星空を撮影するには、真っ暗のほうがいいワケであって、照明からこぼれた明かりは邪魔なのである。
この邪魔な明かりが、画面に微妙に影響して、面白くないからである。
もっとも、この照明灯を消せばいいことだが、こういうことを勝手にやると「うるさい」時代にもなってきているので、ここはもう10年以上もやってきたのだから撮影も潮時かな?、とも考えるのである。
ヤマザクラの樹勢もどことなく落ちてきているようなので、これも諦める要因の一つかもしれない。
まったくもって、照明灯というよけいなことをしてくれたものだ。
こういう「光害」には、最近とくにボクは敏感になってきているので、余計に腹の立つことでもある。
写真上:この木の美しさをスカウトしたのは後にも先にもボクだけであろう。なにはともあれ、枝ぶりが美しいからである。
写真下:左の土手に照明が漏れてきて、写真の画面が締まらなくなってきてしまった。








