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「アサヒカメラ」10月号

カメラ雑誌の「アサヒカメラ」10月号(9月20日発売)に、特集記事が載る。
写真家の宮嶋康彦さんとの対談だ。
内容は、『美しいだけが自然じゃない』。
対談場所は中央アルプス山麓にある、僕のアトリエの庭で行われた。

『美しいだけが自然じゃない』
  今日の写真界ではネイチャーフォトが市民権を得てきたが、そのネイチャーフォトがあまりにも自然を美化して「花鳥風月」的に一面化してきてしまっている。結果、それだけが『自然』と思われることに、僕は長いあいだ不満をもってきていた。自然界はもっともっと複雑で、奥が深く、あらゆるものが関連しあって形成されているものである。それなのに、花鳥風月的に美しい一面だけをとりあげて、それがあたかも「自然のすべて」のようなことになってしまっては、こまる。
  このように、一方的に美化された自然観が一人歩きしてしまうと、やがて本当の自然を見失ってしまうことにもつながる。これでは視覚表現をする写真家としてあまりに精神的にも貧困であり、送り手としての責任感にも欠ける。自然界を知る意味でも視点の多様性をもっともたせなければならないし、写真家ならばそうした柔軟性も必要だ。
  そんなことを思っていたとき、宮嶋康彦さんが「2001年の自然写真」というタイトルで一昨年アサヒカメラで連載をされていた。そのなかに、東京のコンクリートビル街にあるわずかな空き地から、雑草が元気に生い茂っている写真があった。この写真をみて、これこそが今日もっとも必要とされている『自然写真』なのではないか、と僕は直感した。まさに「2001年」という、時代性の確かさをあの写真で感じた。こうした視点で写真を撮っている写真家は、今日の日本では希有だ。そこで、僕はすかさず宮嶋康彦氏を対談相手に指名したのである。
  こうした企画が生まれたのも、僕が同じアサヒカメラ5,6,7,8月号で、評論家の柳本尚規さんと「メール対談」をしたことに伏線があった。自然界に対する僕の考えを、柳本さんと少しキャッチボールしたのが、多くの読者に支持されたからだ。内容のない美しいだけの「ネイチャーフォト」に、読者も疑念をいだいていたからにほかならない。

  尚、同じくカメラ雑誌の「フォトコンテスト」10月号でも、『月刊・宮崎 学』として特集されている。こちらは、東京都写真美術館学芸員の関次和子さんが僕をとりあげている。ここには、新作の「カラス」がグラビアページに登場。

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「アサヒカメラ」10月号には、こんな写 真も登場しています。
「琵琶湖のトビの巣」雄琴温泉に近いところにあったトビの巣に、なんと新鮮な使用済みコンドーム(中央部の白いティッシュにくるまれているピンク色)が持ち込まれていた。
ついでに、ほうれん草の種袋、ビニール類、化学繊維の綿、生理ナプキンなども、あった。


対談中に一同をデジカメで連写。だけど僕をスナップしてくれた人からは、まだ写真が届かないから、僕の写真はない。

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対談は、僕のアトリエにある手作りデッキの上で。中央が宮嶋康彦さん。左右の女性はアサヒカメラ編集部のSさんとMさん。 さすがにカメラ雑誌の編集者だけある、カメラの構えがちがうSさん。

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アサヒカメラ誌では、カメラのメカニック担当のMさんも、自前のカメラで我々をスナップ。このカメラは、僕も欲しいと思っている「リコー」。

宮嶋康彦さんも、編集者に負けまいとオリンパスのキャメディアで連写、連写 、連写。

宮嶋氏の中判カメラには、Y2フィルターが付いてたからモノクロフィルムが装てんされていた。いや、モノクロ用フィルターでもカラーに使うヒトがいるから、中身のフィルムを簡単に判断してはいけないのかもしれない。「フィルムは何?」と、彼に聞くことを、忘れてしまった。

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対談が終わると、宮嶋氏は中判カメラをとりだしさっそく彼女たちをモデルにしはじめた。
なんと、その注文は「目をとじて」だった。
M女史も、目をとじてモデルにされた。
僕も写されたけど、「目をとじろ」とはいわれなかったから、しっかり目を開けていた。
僕の「柿の木スタジオ」を見学して、ゴキゲンな3人。
このスタジオは現在、あるCM撮影で使用中。

これまでの写真は、すべてデジタルカメラにて撮影しました。
使用カメラ、ニコンD−1。 使用レンズ、シグマEX17〜35ミリF2,8-3,5、EX28〜70ミリF2,8。



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