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柿の木スタジオ 

もう一つの撮影スタジオである「柿の木」小屋。長野県伊那谷のとある村のはずれにあり、そこで20年ほど前に離農した農家の空き家を借りて、その周辺をスタジオにさせてもらっている。
昔の農家は、すべて「自給自足」が原則だった。米にしても野菜にしても、自然からの生産物を食糧にして生きてきた歴史がある。そうした食物を生み出す土地の姿に興味があったから、スタジオとして借り受けた。建物だけでなく、それまで耕してきた土地もすべて観察対象にするべく、自由に使えることを条件にいれた。

土地の偉大さ 

それだけに、何年間か観察をしてみると、土地の偉大さに気づいた。とにかく一年を通して、人間を生かせるだけの食糧をちゃんと生産してくれるのだ。
野生動物が暮らしていくのには、その土地(ナワバリ)から生産される食糧ですべてが決まる。それと、まったく同じことが人間の暮らしにもいえるということがわかった。
それでも、先祖代々つづいてきた土地を捨てて、人間は出ていく。自分で食糧を生産するより、食べる分だけ購入してあとは勤めに出たほうが、今日の時代は生きやすいからだ。
自分で食べきれないほどつくるより、食べられるだけを買う。そのほうが、山間の農家はラクなのである。土地はそのくらい、ときには生産してしまうからだ。

三段に分けた井戸船 

ここでは、年間通して絶えることのない水を、巧みに工夫して使っていた。三段に分けた「井戸船」は、最上段を鮮度のいい飲み水として使い、下段は洗い場としている。
泥のついた野菜などは、一日中下段に入れておけばきれいになる(アサツキが入って
いる)。また、みそ汁を作った後の鍋なども下段にいれておけば、洗いやすい。
その下段の下には、「生け簀」があって鯉などが飼われていた。その鯉が残飯などの残りものを食べて、水質浄化をする。この池には、現在「イモリ」が30匹ほど棲んでいる。

 

  米を生産するには、水が基本。昔の農家には、必ず水の確保が必要だった。それは、水のあるところに人が住んだといっていい。山からの湧水が絶えることなく、井戸に注ぐ。もちろん、水道代もいらない。塩素殺菌もしてない、「生」の水だ。


 僕の食べ残したみそ汁の鍋を池に沈めておいたら、イモリが鍋に入ってみそ汁の残りを嘗めていた。鯉のかわりを、この池ではイモリがやっている。汚れたままの水が下流に流れないように、水中の生きものたちの力をかりながらちゃんと浄化をして流すことを、昔の人たちがやっていたのには感心する。


 まだ、「馬小屋」が残り、その下に毎年菜の花が咲く。菜の花も、ときどきお浸しにして頂いている。花の両脇には撮影用の照明器具が並んでいる。奥の家屋が、僕の借りている空き家。


 サトミツバは、お浸しや吸い物に最高。荒れた畑の跡地に、よく生えている。

  池のそばの湿田には、セリが生えて水質浄化に一役買っていた。このセリも、お浸しにすると旨い。


  昔、田んぼへ水を引いていた沢に「ワサビ」が自生している。美味しいわさびを取る人がいなくなったから、最近はイノシシが食べている。一晩に2LDKくらいを豪快に耕して、明け方には山に帰っていく。

  ネギ科のアサツキは「わけぎ」に似ているが、この球根が美味。生で味噌をつけて食べるのがいちばん。放棄された田んぼの土手に、どっさり生えている。あまりにも密生していると球根が小さくなってしまうから、僕はときどき小分けして土手に植え直している。

 アサツキの球根は、5月上旬くらいにいちばん大きくなる。そのあと夏には小さくなってしまうから、いまが食べどき。一年に一回、このくらい食べれば充分。


  耕作しなくなった田んぼは、どんどん自然に帰っていく。いろいろな植物が競い合うように乱入し、やがては山野になるのだろう。現在は、ススキが優勢となっている。その脇に、フキやアサツキなどがはえている。遠景に見える家屋は、僕がスタジオに借りている空き家。



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