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4月中旬、講演の依頼があり兵庫県へ出かけ、その足で、山陰地方を旅した。
車の中で寝泊まり、自炊の貧乏旅行である。その記録を紹介しよう。

但馬学での講演

 4月16日
兵庫県但馬地方を中心に、地元有志が集まり、但馬の自然、歴史、文化などの分野を勉強している「但馬学研究会」という集まりがある。
その会が活動を開始して、今年で10周年を迎えたということで、その記念事業の一環として、講演に招いて下さった。
皆さん熱心なのには関心した。そして、インターネットをフル活動していたのにも、驚いた。講演の生中継なんかも、インターネットで発信していたのだ。一地域で、このような試みがなされていることを目の当たりにして、本格的なネット社会の到来を見た思いがした。
これからの時代は、情報も経済も地域社会も人生も、様変わりするにちがいない。そして、中央と地方の格差はなくなり、どの地域にいてもきちんとした問題意識さえもっていれば、楽しい人生が可能とみた。
僕は、「但馬学」の皆さんにであって、そう確信した。
皆さん、ほんとうにありがとうございました。前夜祭で、がんがん振ってから飲んだあのペットボトル入りの「お酒」の味が、いまでも忘れられません。お酒の名前は公表しないほうが、いいんですよね…。
ちなみに、但馬学研究会のホームページは、
http://www.tajimagaku.org/
ここで、みられます。

k君、安らかに…  

 4月16日
講演のあと、僕はひとつやることがあった。会場から1時間ばかり行った国道沿い。僕は、線香と花束とビールと缶コーヒーを持って立っていた。3月初旬に交通事故に遭って亡くなった編集者k君の事故現場だ。
 僕が取材旅行中の出来事で、葬式にもでられず、ずっと気になっていたのだが、今回兵庫県を訪れたので、こうして現場に花束を供えることができた。
 自然を深く理解していた男だったから、花だけを現場に置いて線香は燃え尽きさせ、ビールとコーヒーは道路に飲ませた。全国の道路を車で走っていると、花束を供えてある事故現場をよく通過することがある。そんな現場を目撃するたびに悲しい人たちがいたのだと心痛む事があったが、まさか自分が当事者になってしまうとは思ってもみなかった。
k君、安らかに。

コウノトリの郷公園  

 4月17日
兵庫県豊岡市にある「コウノトリの郷公園」を見学。旧知の池田 啓さんが、ここの研究部長になった。彼の案内で、施設のすべてを見学させてもらった。
トキと同じくコウノトリも、日本の自然に昔から羽ばたいていたのに今日ではケージの中だけでしか見られない状態になってしまった。このようなことになったのも、彼らの生息地である水辺の環境が極端に悪くなったからだろう。
とくに、水田での農薬の使用が大きな陰を落としたに違いない。そのコウノトリの復活を願って地道に努力されている研究施設には、頭のさがる思いだった。ここで育ったコウノトリが、やがて再び山陰の空に力強く舞う姿を僕もみたい。
すばらしい研究施設を見学できたことに、感謝。

タヌキ毛100%の毛布  

 4月18日
島根県の宍道湖のほとりに、カラスの巣があった。
そっと覗いたら、生まれたばかりの2羽のヒナとひとつの卵があった。
まだ、眼もあいてないヒナだから、孵化後2〜3日に違いなかった。そのヒナの巣材に使われていた「しとね」は、なんとタヌキ毛100パーセント。どこかにタヌキの死体があって、親ガラスはそこから自分のヒナの毛布に使おうと持ってきたに違いない。そう思いながら、カラスの巣を離れて15メートルばかり歩いたら、なんと足下にタヌキが死んでいた。
タヌキの背中のいちばん暖かそうな長い毛がごっそりなくなっていたか轣Aやはりカラスはこのタヌキの体毛を持ち込んだのだ。あまりにも近場で巣材調達をしていたこのカラスが、おかしかった。

 
タヌキ毛100パーセントのカラスの巣には、
生まれたばかりのヒナが
真っ赤な口をあけて餌を欲しがっていた。


このタヌキは口を開けて無念の表情をしていた。
その背中のもっとも毛足の長い体毛を、
近所に棲むカラスがヒナの毛布にしてしまった。

ハマチづくしの日  

 4月19日
出雲大社の前を通ったら、「ウミネコ繁殖地」という看板が目にはいった。
「じゃあ、ウミネコでも見ていくか」と思って、現場へ行ってみた。港からそう遠くない岩山で、たくさんのウミネコが巣作りをしていた。生憎の雨の中だから、港で車の中から双眼鏡で観察してみた。なんと、漁網などを持ち込んで巣材にしているウミネコも見えた。
そのうちに、沖からハマチを釣ってどんどん帰港する小舟があった。無理と思いつつも一人の老漁師に、「オジさん、1本売ってよーー」って声をかけたら、500円で分けてくれるといった。
ハマチは1,2キロくらいある中型。刺身でも、一人では食べきれない。1匹で充分だったが、財布に1000円しかなかったので「釣りはいらない」と差し出したら、オジさんは2匹もくれてしまった。
車には冷蔵庫なんてないので、刺身で半身だけご馳走になって(もちろん自分で車の中でさばく…)あとは「煮付け」にした。頭と背骨は、スープだ。
以来、3日間ハマチだけの食事。…ハマチは当分見るのもイヤだ。

手抜き建設ウミネコの巣  

 4月20日
港から双眼鏡でみると、テトラポットの上にいくつものウミネコの巣がある。天候が晴れたので、ウミネコが巣作りをしている防波堤に行ってみることにした。
しかし、岸から100メートルほど先の防波堤に渡るにはボートがいる。手漕ぎボートが浜に3艘腹を出していたので、近所の民宿に頼んでみる。民宿の女将は「貸すほどのものではないが……」といいつつ、オールを用意してくれた。そして、ついでのようだが慣れた手つきでアルミの柄杓(ひしゃく)も渡してくれた。
っっっっということは、『このボートは浸水するということ……?』
そのボートは思いのほかオンボロで、しかもオールを支えるフックが一つ外れていることに気づいた。確かに、「貸すほどのものではない」シロモノだ。フックはロープで急ごしらえをして、出発。
しかしこんなオンボロでもやはり、ボート。港の中を100メートルくらいは簡単に移動できて、ひと安心。
テトラポットのウミネコの巣は、みんな手抜きをしていた。コンクリートの上に直接卵を産んであり、その廻りを申し訳程度に巣材でかこんであった。卵も、至る所に転がっている。
どうやら、テトラポットだから高波をかぶるらしい。ここのウミネコは、巣作りをしても抱卵中に何回も波をかぶって失敗しているようすだった。もっとも、こうしたウミネコは集団の中では順位の低い家族たちなのだろう。名家(?)のウミネコは波をかぶらないような安全な高台でちゃんと子育てをしている。テトラポットや防波堤につくるようなウミネコは、集団の中では付録的存在なのかもしれない。

 
漁網の張り付く岩場で巣づくりをしていたウミネコは、
自身の巣へもビニール紐などを巣材に持ち込んでいた。


住宅難のムササビ  

 4月21日
旅から帰って、一息つくひまもなく、伊那谷で、昨年オオタカが使っていた巣を見回る。
なんと今年、その巣にはノスリが入って抱卵していた。
オオタカの古巣をハチクマが使ったり、トビの古巣をオオタカが使ったりするから、タカ同士で中古物件のリサイクルをしていることがこれではっきりした。
そのあと、近所の森林公園へでかけた。
そこには、いくつもの小鳥用の巣箱が掛けられていたのだが、なんと、そのうちの一つからムササビの尻尾がでているではないか。小鳥用の巣箱の入り口を広げて(かじってムササビサイズに広げるのだ)、ムササビがちゃっかりマンションにしてしまったのだ。
周囲の林は、20年生のヒノキばかり。樹洞のある大きな木がなくなり、ムササビも住宅難に陥ってしまい、小鳥用の巣箱に入っていたのである。
このことからみても山野には老木も壮木も幼木もあって、はじめて森が形成されると思わなくてはならない。単一樹木ばかりを植林して、100年で伐採していくという、林業の本質を見直さなければならないと思う。
樹木の一生枠からすれば、100年の樹齢ではまだまだ人間にたとえるならば小学生。人間社会も小学生だけでは社会がなりたたないように、森にもいろいろな樹齢の木が必要なのである。
巣箱に入るこのムササビが、そのことをいちばんよく訴えているのではないか。




 小鳥用の巣箱の入り口を自分が入れるように囓って大きくしてから、このムササビは巣箱の利用者になった。
森に大木があって樹洞でもあいていれば、こんなところにムササビは入らないだろう。


 

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