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●Gaku塾に連載の「gaku日記」の過去ログを掲載しています。


『視覚の冒険』 (12月09日)
働きながらイラストや文章、絵本制作、写真などを勉強する「パレットクラブ」というスクールがある。
そこの「写真コース」の授業を、ここ4〜5年ばかりやってきた。
その授業が、つい先日もあった。
ボクはここでは、写真家としてのテーマの掘り下げ方を自分自身のこれまでの活動と照らし合わせて、生徒の前で報告してきた。
 
スクールの生徒は、ほとんどが20代の若者たちだが、圧倒的に女性のほうが多い。
しかし、写真コースは生徒が年々減少しつづけているらしく、来年からは閉鎖となるみたいだ。
残念なことだが、写真という視覚言語での表現方法の方向性をみいだせないようでは仕方がない。
だけど、アイデアと技術さえあれば、こういう仕事は楽しいものである。
それを見いだせないままに生徒が減りつづけるということは、表現方法を見つけだすアイデアなどを伝えきれない指導者にも問題があったのではないか…と思った。
他の写真学校でもそのような傾向があるのかも知れないが、表現手段というものは型どおりのことをやっていただけではやがて先細りをしていくにちがいない。
モノを自己表現することの面白さに気づく学生が減ってきてもいることは、寂しいかぎりでもある。
 
授業が終わってから、2人の生徒が「写真を見てください…」っといって、アルバムを持ってきた。
青年と美しい女性だったが、青年は30年ほど前にプロが流行らせた「花」をファンタジックに撮った作品だった。
そして、女性はセルフヌードを織り交ぜたテーマで、心の葛藤を表現しようとしていた。
写真技術は本人が努力すればそれなりに上達していくからいいが、それ以前に「視覚の冒険」を得るための発想力の貧困さのほうが問題だった。
どこかで見てきた亜流に、2人ともに満足していたから、だ。
 
そこで女性には、たぶんやれないだろうなっと思いながらセルフヌードにまで迫っているのなら、ボクなら『こうする…よ』っと具体例まで伝えてみた。
 
1)ワンルームマンションの部屋の天井にカメラを下向きにセットする。
2)部屋の四隅に光りが平均的にまわるように、ストロボも4つ天井に配置する。
3)そのカメラを自分の意志に関係なく、1時間に1枚だけシャッターが切れるようにする。
4)こうして、一日に24枚の写真を無人で撮りつづける。
5)これを1年間でもやってみれば、絶対にオモシロイ。
 
こうすれば、
現代社会の都会に暮らす若い女性の部屋の中から、人間の臭いや音が聞こえるような生活感あふれる写真が撮れるはず、だ。
外出していても、それなりに部屋からは生活時間が伝わってくるし、食事中や休息、彼氏とのベッドシーンまで撮れてしまう、ではないか。
それまで自分をさらけ出しながら表現方法を確立していけば、この方法はそっくりそのままテレビだけにお子守りされている「独居老人」の生活を垣間見ることへも応用ができる。そうすれば、現代社会を考察する手段にも成長していくから、貴女は人間をエコロジー的に捉えるオモシロイ写真家として注目されるだろう…。
 
こう言ってしまえば簡単なことだが、これを完全に無人システム化するには相当な技術力がいる。
たとえそれを完璧にできないまでも、こうした表現に対する発想の転換方法を理解できれば、表現方法とはどのようにアプローチしていくものなのかに気づくハズだ。
文章にしてもイラストにしてもオリジナルな表現力とはこうして掴みとっていくものであり、アイデアとそれを理想通りに完成させる技術力と、見せ方の「視覚の冒険」には磨きがかかっていくだろう。そうすれば、自身の存在価値を世間にも知ってもらえるし、写真家として一枚看板をあげていくことだって、できる。
 
こんなことを、伝えてみたけれど、果たして今日の若者にはそれを成し遂げるだけの元気が、あるのだろう…か。
「視覚の冒険」なら、どんどんやってもらいたいものだ。

写真・オナガガモが元気よく集団で飛翔していった。彼らは集団でも、生きていくには個々の実力を発揮しなければならない。




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