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●Gaku塾に連載の「gaku日記」の過去ログを掲載しています。


『ツキノワグマ・3』 (09月08日)

その昔(1980年)、テレビのレポーターの仕事でカナダのロッキー山脈へ行ったことがある。
バンフからジャスパーを一人で運転して、スタッフと合流することになった。
初めての右側通行運転にとまどいながらも、ボクはこのときも複眼発想をやっていた。
道路際には野生のヒグマも出現するし、エルクやムースまでもいる。
 
さすがカナダの自然は素晴らしいと感心しながら、枝道へ逸れたところで、驚くべき発見をした。
なんと、「ゴミ箱」に目を奪われてしまったからである。
コンクリートの土台付きのシンプルなゴミ箱は、一目でそれが意味するものを理解できた。
ヒグマの生息地だから、ゴミの味を覚えさせないためのものだったからだ。
コンクリートの土台は、ヒグマの力をもってしても倒せないように頑丈だった。
ゴミ箱の鉄板も、かなり厚くて、強度もあった。
しかも、蓋は上に持ち上げないとゴミを入れられない構造にも、なっていた。
クマは押し込む知恵があっても、重い蓋を上に持ち上げるという知恵を持ち合わせてはいない。
とにかく、三次元に発想された「ゴミ箱」だったのである。
日本には、このような発想で開発されたゴミ箱はない。
とにかく、全国どこへいってもゴミ「籠」だったからである。
 
以来、ボクは全国のゴミ箱に関心がいくようになった。
このため、北海道から沖縄まで、ゴミ箱だけを巡る旅にもでかけた。
そして、三次元で発想できる環境行政はこの国には存在しないことを発見した。
それは、自然保護だ、環境保護だ、自然との共存だ…などといいながらも、内実はまったく進歩せず今日までずうっと続けてきているからである。
 
そこで、このような写真を講演などでも見せながら、私たち人間を含めた環境がすべての野生動物へもつながっていることを説明してきた。
が、しかし、理解はいまだにゼロなのである。
まさに自然に対する貧困な発想だけが、この国のなかには脈々と生きつづけているのである。
国立公園や市町村の観光地でも、「ゴミ持ち帰り…」を唱えながらも、「ゴミ籠」の発想から脱却できていないからである。
これでは、いつまでたってもクマとのトラブルは続くことであろう。
カナダやアラスカの発想からは、いまだ50年遅れている…と、ボクは思っている。
少なくも、北海道や信州のような身近なところにクマがいる山岳圏では、行政も一般市民や観光客も、早急に三次元発想にならなければいけないのである。

写真上・カナダのロッキー山脈ナショナルパークで見つけたゴミ箱。
 写真下・山陰海岸国立公園で25年前に写したゴミ籠にはタヌキが来ていた。この現場を今年の5月に訪れてみたが、相変わらず同じゴミ籠が3つも使われていた。




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