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●Gaku塾に連載の「gaku日記」の過去ログを掲載しています。


『花篭』 (01月15日)

『ウチの庭にある桜の木にフクロウが棲んでおるんなぁー。風呂の煙突の煙が届くところなのに、もう何年も通ってきて子育てしているから見に来ておくれんかなぁー。』
 
1985年9月。
飯田市の図書館で開催された講演会場のかぶりつきの席にいたおじいさんから、こんな思いがけない話しが飛び込んできた。
そのおじいさんは、竹下利一さん(77才)だった。
「庭の木」「風呂の煙」・・・
こんなに身近なところにフクロウが繁殖しているという、2つのキーワードにボクはピンときて、竹下さん宅を訪れた。
 
伊那谷の河岸段丘の広がる典型的な農村に位置する竹下さんのお宅には、樹齢100年の「しだれ桜」の木があった。母屋から6メートルほどしか離れていないところに、その桜の木は立っていた。大きく張った枝は、屋根の半分ほども覆うたくましさだった。
その桜の木の枝が、幹のところから台風で折れた。
1959年「伊勢湾台風」として日本の災害史上に名をのこす巨大台風の足跡だった。
 
それから23年後の1982年、この桜の木でフクロウが繁殖をしはじめた。
台風で枝が折れて、幹に腐りが入り、フクロウが子育てできる樹洞になるまでに、実に23年間がかかったのである。
そして、1996年までの14年間を、フクロウが毎年使い続けたのだ。
 
その後、桜の木は樹勢を増して樹洞を残したまま入り口を表皮がふさぎはじめた。やがて、フクロウが出入りできない狭さとなり、繁殖をしなくなってしまった。
 
フクロウが繁殖をはじめるきっかけと終焉までの時間をこれほど明確に知ることができたのは、竹下さんの綿密な観察記録があったからだった。
ボクが顔をだすたびに分厚い日記帳をだしてきて、的確にそのときどきのようすを教えてくれたのだ。その正確さに驚き、ボクなりの自然観を合わせながら分析すれば、この観察記録がいかに信憑性の高いものかが分かった。
これ以来ボクは、台風や大雪が自然界には必要なこととして悟るきっかけにもなったのだから、竹下さんには多いに感謝している。
 
その竹下利一さんの葬儀が、昨日営まれた。
享年95才。
大往生である。
元旦にはボクのところに年賀状が届いた。健康が気になっていたから、ボクはすかさず返信をした。それを息子さんに読めと枕元で命じて、満足顔で聞き入ったという。そして、3日後に息を引き取った。
喪主の息子さんとは2才しか違わないボクなのに、自分の「息子」のように思っていてくれたらしい。
フクロウがきっかけでボクと知り合えたことを、ほんとうに喜んでいたという。
ことあるごとに、フクロウとボクのことを話題にしていたと親族たちから聞いて、ボクも涙がこぼれてしまった。
 
伊那谷では米寿を過ぎての葬式は「お祭り」だ。
葬列の前後に「花篭」がつき、そこにはお金がはいっている。それを墓までの沿道でバラまいていくのだ。そのお金を拾うと「長生き」ができるという、縁起かつぎである。
ところが、最近の葬儀はほとんどが「儀礼センター」だ。
葬儀会場出口の両脇に「花篭」があって、そこから一つ持ち帰る仕組みになっていた。
ボクのおひねりには、五円が入っていた。
さっそくボクは五円玉をキーホルダーにつけ、「お守り」とした。
 
合掌。

写真・写真集「フクロウ」の77ページの写真が竹下さん宅で撮影したものだ。




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