
ふしぎな木との出会いでした。というより、最初にこの柿の木に強い印象をもった自分が、ふしぎでならなかったのです。
とりたてて、めずらしい木というわけではありません。
樹高、数十メートルという巨木というわけではありません。樹齢、数百年という老木というわけでもありません。
むかしなら、どこにでもあった柿の木だったにすぎないのです。でも、すぐに気づきました。
むかしならどこにでもあった柿の木だからこそ、つよい印象をもったのです。
むかしならどこの農家の庭先にも、このような柿の木があり、たわわに実った赤い実は、人里の秋の風物詩であったはです。
むかしなら、田舎の子どもたちは、柿の木に登って柿の実をうばいあい、木から落ちてけがをしたのもです。
このような柿の木が、気づかないうちに、伊那谷からほとんど姿を消してしまいました。これは、事件です。
長野県伊那谷の寒村に立つこの柿の木は樹齢85年になります。私がこの柿の木にカメラを向けたのは、むかしの郷愁からではありません。目先の文 明に追いたてられる現代人が、忘れているもののあることに気づいてほしかったからにすぎません。
ひとり静かにたたずんでいる柿の木のつぶやきを知るために、2年間、季節を追って写 してみました。(まえがきより)