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森の仲間コミュニティは、森の365日のファンの皆さんが、会員だけが集える場所で、安心してコミュニケーションをとっていただけるように用意したサイトです。カメラや自然や宮崎学が好きな方はどうぞご参加ください。gakuの裏日記も読めます!

gakuの今日のヒトコマ

ツキノワグマはすぐ裏山にいるのに…

 

ツキノワグマは増えている。
それも、近年はべらぼうに数が多くなっている。
10年も前からオイラはきちんと発信してきているけれど、この意見は「異端児」扱いをされてきた。
それが、今年あたりからは「ツキノワグマは増えている」に意識がだいぶシフトしてきているみたいだ。
そうなると、次にはどうすればいいか…。

写真の山にも、たくさんのツキノワグマがいる。
100頭なのか200頭なのか、どのくらいの熊を擁しているかは誰にもわからない。
しかし、四角で囲ったあたりを丁寧に10年間ばかり継続調査を続けていけば裏山の生息状況のある程度はつかめる(少なくも4~5頭は行動しているからだ)。
そのうえで、ポイントを変えて調べていけば、山全体の状況がわかる。
このような発想で全国版にしていけばいいのだが、そう考えることもできないといつまでたってもボタンを掛け違えただけの想像だけで終わってしまうだろう。
「山を見て木をみず木を見て山をみず」そのうえで野生動物を見る。
そう思うのも、自然を把握するスキルがないと、発想力すらも沸いてこないというものだ。
意識がそこに辿りつくまでには、あと10年はかかるのかな?
さらに、そこから次なる発想に至るにはこれまた10年…。

いまから30年後には、日本の人口は激減をする。
そのときは、この風景のなかにもイマでは想像もつかないことが起きてくだろう。
少なくも、四角く囲んだあたりだけにでも関心を示してもいいものだが、地域住民も行政も裏山を普通にツキノワグマがひっそりと行動しているなんてまったく思ってもみないからだ。
自然を語るには、時間軸も人間社会学も必要だ。
加えて、動物のもつ生理生態学、死の生態学も同時に考えていかなければならないコトだからである。

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ツキノワグマ事件簿

「黙して語らぬツキノワグマを探る…」、には

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昨夕、かねてから知り合いの全国紙科学部の記者から電話があった。

記者「宮崎さん、ツキノワグマはかなり多く生息していそうですね!」

gaku『いまごろそんなこと言っているんかい?
オイラは、ずっと一貫して、たくさんふつうにいる野生動物だと言ってきているのに。
写真家は、現場に立ってナンボだから、そんなこと他の野生動物と比べてみても分かること。』

記者「でもねぇー、研究者はどうしても“保護”したいから少なく見積もっているところがある。」

gaku『いや、そうじゃあないよ。
技術と自信と行動力と身銭を切らないから、「保護」といっていれば立場を守れると思っているだけさ。
とにかく、現場を分かってないんだよ、ね。
ツキノワグマを語るのに「生態学」だけしか頭にないから何も分からないんだよ。
野生動物の盛衰を語るにも、「現代社会学」「生理生態学」「死の生態学」さらには「時間軸」に加えた「人間心理学」…
そのどれもが必要で、複眼発想しながら総合判断すればツキノワグマをあぶり出すヒントはいくらでもある。
で、そこには自然を総合的に見つめて行動していく「センス」という直感力も必要になってくるんだけれど、ね。
センスさえあれば、研究者であれ保護を訴えている専門家だって、もっともっと新しい言葉で自然を語ることができるものなんだけれど。
なのに、相変わらずのドングリだとかハチミツのセオリーどおりの言葉しかない、じゃん。
写真だってこれほどカメラがすばらしく進歩してきているのだから、プロアマ問わず、刺激的で新しいものがどんどん世にでてきてもいいハズだと思う、よ。
発信しなければならない人がちゃんとしてないから、「獣害」といわれるサルやイノシシ、ニホンジカの増加にしても30年も遅れてしまい対策が手遅れとなっているんじゃあないのか、な?
ツキノワグマの今後がどうなるかって、社会学から追っていってもオイラにはすでに答えが見えているよ。
100年後の日本の山野がどうなっているのか、そのときツキノワグマがどのようなポジションにあるのか。
そのくらいの視野で、いま現在のツキノワグマを語らなければならないんだけど、ね。
マスコミの仕事も重大です、ぞ。』

記者「 ・・・・・・・・ 」

あはは、生意気ぐらいがちょうどいい。
このくらいはっきり言っても、社会は「怨嗟」としか捉えないからオイラはわが道を行くだけだけれど。
記者は、オイラの未発表の写真を借りたがっていたが、まだその時期ではないので丁寧でもないけれど言葉を濁した、のだった。
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写真上
山ガール、森ガールも増えてきて、ほんと心配してしまうくらいに山野に無防備で入る人が多くなってきた。
この女性も単独でこの森に入ってきたが、何が目的だったのだろう、か?
そこを歩くクマの親子だけれど、母親は「初産」らしく小さい。
初産の母グマの攻撃性は、いかに。

写真下
「森の手入れが行き届かないからクマを里に呼び寄せるのだ」
専門家のそんな進言もあって、行政は通学路や人家付近の木をどんどん切って明るくしたのだけれど。
そこを歩くクマにとっては「そんなの関係ねぇーや」、と闊歩中。
やっぱり、人間のやることは「気休め」、だけだな。

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森の動物日記

凡人キジバトを一流モデルに…

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(Photo:地味な模様ですが、こうしてじっくりと見るとなかなか渋くて美しい色合いです)

「デデッー ポッポー デデッー ポポー
 デデッー ポッポー デデッー ポポー」

独特な声で鳴くキジバトは、全国どこにいても見られる野生のハト。
別名を「ヤマバト」ともいい、昔から私たち日本人には身近な鳥として親しまれています。
半世紀ほど前までは農地や田舎の住宅地には普通でしたが、近年はハイマツのある高山帯から海岸線、島などにも数多く生息してほんとうに増えてきています。
そんなキジバトですから、もちろんボクの仕事場にしている中央アルプス山麓の高原にものどかな声が漏れてきます。
その声は決して美しいとはいえませんが、なぜか安心できる幼なじみのような、生きたメドレーとして癒されます。


(Photo:このキジバトは胸にキズを持ってきます。電線か山野の樹枝にぶつかったのかもしれません)

一般には平凡と思われ、あまりモデルにする人がいない野鳥です。
しかし、このキジバトが仕事場の林につがいでやってきていることを知ってから、『一流のモデル』にして写真を撮ってみたいと思うようになりました。
なんといってもキジバトは、庭でものんびりと目立たずマイペースで遊ぶ姿がいいので、そのまんまの生活史を写してしまえばいい、と考えたのです。

キジバトなんてどこにでもいるから、野鳥を撮影する人たちにはほとんど見向きもされません。
でも、普段はスターになれないキジバトでも、日本の自然に生かされている住民だから、やはりそこにスポットを当ててみれば何らかの発見もあるハズです。
また、そうした普通のモデルに対して究極のカメラ技術で迫ってみる面白さも感じました。

その結果は、なんと素晴らしい動きを見せてくれて、写真家としてまだまだたくさんの表現方法のあることを教えられました。


(Photo:アップで見ると間の抜けた表情ですが、土着的したたかさが魅力的です)

身近に居る野鳥だからこそきちんと見届けてなかったことを反省しながら、どんな生物にも好き嫌いなく接していればいろんな発見をさせてくれるものだと思いました。
そんな見方ができるようになると、自然なんて無限なテーマがあって、ほんとうに奥が深いことにも気づかされます。

 
(Photo:庭に仕掛けたカメラの前でまるでダンスのような、いろんなポーズで決めてくれました。マイケル・ジャクソンみたいです)

(Photo:日光浴中です。こうして、体についた虫を落としています)

(Photo:飛ぶ姿はなかなか凛々しく、力強い。人知れず、このような飛翔をたえず繰り返しているのです)

(Photo:森を飛翔する瞬間をとられました)

(Photo:カメラと一緒にモデル撮影会)


(Photo:川の水を飲むキジバト。地味な「保護色」の必要性を感じます。こうして地面に下りたときには安心して水が飲めるのかもしれません)

(Photo:ハト族のキジバトは必ず2卵という自然界の取り決めがあります)

 

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森のライブカメラ